天才は生まれつきで、秀才は努力の人。
子どものころに、そう聞かされた人。いま自分ののび方を見て、どっちでもないと感じている人。
僕は、あとのほうでした。
先に結論を書きます。天才は「生まれつきの才能」をさすことばで、秀才はもともと「試験でえらばれた人」をさすことばです。そして「生まれつきか、努力か」という二択のほうは、そもそも足し算になっていません。
生まれつきの側にも、努力の側にも、数字はあります。
ただ、測るものが別です。
順番に書きます。
辞書では、天才は「生まれつき」、秀才は「試験」
まず、意味をそろえます。
デジタル大辞泉で「天才」は、こうです。
生まれつきそなわっている、並み外れてすぐれた才能。また、そういう才能をもった人。
「秀才」は、こうです。
非常にすぐれた学問的才能。また、その持ち主。
秀才には、もうひとつ古い意味があります。
秀才は、もともと中国の科挙の試験科目の名前でした。のちに、その試験を受ける人と、受かった人をさすようになった。
日本でも秀才は、律令制の役人をえらぶ試験の科目名でした。
天才は、生まれつき。秀才は、試験——それだけです。
天才と秀才は、才能の中身をわけたことばでは、ないんですよね。
「生まれつき説」の出どころと、年齢で上がる遺伝率
天才は生まれつき、という考えの出どころのひとつは、1869年の本です。
ゴルトンの『遺伝的天才』。そのはじめに、人の生まれつきの能力は、からだの形や特徴とまったく同じ制約のもとで、遺伝によって受けつがれる、と書いています。
では、いまの実測はどうなっているのか。
知能の遺伝率は、乳児期の約20%から、思春期で40%、成人で60%へ、まっすぐ上がります。後期成人では80%まで上がる可能性がある、と2015年の論文にあります。
遺伝率は、そこで止まりません。
80歳を超えると約60%まで下がる、とも同じ論文に書いてあります。
遺伝率、ということばの中身です。
遺伝率は、集団の中でのばらつきのうち、遺伝で説明できる割合のことです。ひとりの人の何%が生まれつき、という意味ではないんですよね。
意外なことが、あります。
遺伝率は、生まれてすぐがいちばん高いのではない。おとなほど、高くなる。
「生まれつき」ということばの感じとは、逆の動きかたをしています。
「努力説」の出どころは、バイオリンの7,410時間
もう片方の出どころは、1993年の論文です。
エリクソンらが、ベルリンの音楽大学のバイオリン学生30人を、3つのグループにわけました。
18歳までにひとりで練習した時間を、合計で聞き取る。最優秀のグループで7,410時間。優秀のグループで5,301時間。音楽の先生をめざすグループで3,420時間でした。
うまさの順と、練習量の順が、そろっていた。
同じ論文の要旨には、こうあります。生まれつきの才能と信じられてきた特徴の多くは、最低10年つづけた集中的な練習の結果である。
そして、その練習の定義は「努力がいって、それ自体は楽しくないもの」です。
ここが、努力説の芯です。
ただし、この論文は、量をふやせとは言っていません。
タイピングのような手の技能の研究では、効く練習の長さは1日1時間に近い、と書いています。1日1〜8時間をくらべた研究では、練習が4時間を超えるとまず効かない。2時間を超えると、効きが落ちる。
一方で、最優秀のグループは17歳のとき、週19.2時間でした。
1日にならすと、2.7時間です。
ピアノの専門家でも、1日4時間あたりでした。そこが続けられる上限かもしれない、と同じ論文にあります。
上限は、あります。
練習が説明できるのは、全体の14%
7,410時間の話は、そのあと大きく広まりました。
2014年に、それをたしかめ直したメタ分析があります。88の研究、11,135人ぶん。
意図的練習と成績の相関は.38。成績のばらつきのうち、練習が説明できるのは、全体で14%でした。
この数字は、2018年に直っています。
訂正で、相関は.35から.38へ、全体は12%から14%へ変わりました。集計の式をまちがえていた、と著者たち自身が書いています。
分野でみると、割れます。
ゲームで24%。音楽で23%。スポーツで20%。教育で5%。専門職では1%で、しかも差があるとは言えませんでした。
分野で、こんなに違う。
著者たちの結論は、意図的練習は重要だが、言われてきたほどではない、です。
残りの86%は、練習では説明できていません。
さっきの遺伝率と、並べたくなります。
でも、並べられません。
遺伝率が測っているのは、知能テストの点のばらつきです。14%が測っているのは、ひとつの分野の中での成績のばらつきです。
ものさしが、別です。
だから「生まれつきが何割、努力が何割」という足し算は、はじめから成り立ちません。二択を置ける場所が、そもそもないんですよね。
高い知能は、質が違うのか
それでも、天才は別ものだ、という感じはのこります。
そこも、測られています。
双生児11,000組の研究で、知能の分布の上位15%の遺伝率は0.50。それ以外の遺伝率は0.55。
変わりませんでした。
高い知能の原因は、量的に違うだけで、質的には違わない。同じ論文の言い方です。
上位15%の遺伝率は0.50、それ以外は0.55。高い知能は、別のしくみではなく、同じ分布の端でした。
ただし、この論文は線を引いています。
測れたのは上位15%と上位4%までで、ゴルトンが天才と呼んだ上位0.1%には届いていない、と書いてあります。
もうひとつ、日本大百科全書によれば、こんな追跡があります。
ターマンが、IQ140以上の子どもを追いました。IQ140以上の子どもは、全体の0.25%です。ところが、予期したような創造的な業績を挙げた人は、ほとんど出なかった。
逆に、選からもれた子どものなかから、ノーベル賞受賞者が2人出た。
同書はそこから、知能指数による常人・天才連続説はほとんど信頼を失った、と書いています。差は、量よりは質的な次元にある、とも。
2015年の論文とは、逆の結論です。
上のほうにいる人が別の生きものなのかは、まだ決着していません。
今日の話をまとめると
天才は「生まれつきの才能」のことばで、秀才は「試験でえらばれた人」のことばです。
生まれつきの側の数字は、遺伝率。努力の側は、14%。中身が、それぞれ別です。
別のものを測った数字なので、足して二択にはできません。
だから、明日の自分を「天才か、秀才か」で決めることに、意味はないです。
決めなくて、いい。
決められるのは、練習の中身のほうです。
それ自体は楽しくない、弱いところにしぼった練習を、まずは1日1時間から。上限は4時間あたりです。超えても、効きません。休みをはさんで、10年の単位で。
今夜、3分だけ使ってください。いまのばしたいことをひとつえらんで、そのなかでいちばんできていない一点を、紙に書く。明日の1時間は、そこだけをやる。
うまくできるところをくり返す時間は、練習には数えない。
7,410時間は、才能の証明として集められた数字ではありません。1日ぶんを足していった記録です。
「生まれつきの脳のタイプ」の話をまだ引きずっている人は、右脳と左脳の違いを先に読んでください。読む速さのほうが気になる人は、速読は意味ないのかに、同じ型の数字を置いてあります。
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