心理学の本を開くと、無意識ということばが出てきます。ところが、書いてある中身が本ごとにちがう。
押し込められた記憶のことだと、書いてある本。気づかない処理のことだと書いてある本。
どちらが正しいのか、わからなくなる。
僕も、そこで止まりました。
先に結論を書きます。心理学でいう無意識は、ひとつのものにつけた名前ではありません。気づかれないまま働く現象を、まとめて呼んでいる名前です。
順番に書きます。
心理学の「無意識」は、ひとつのものではない
脳科学辞典に、「無意識」の項目があります。
定義は、こうです。志向的な表現が可能であるにも関わらず、一人称的主観として体験されない事態。
ことばにできるはずなのに、本人の体験としては出てこない。
そのうえで、こうも書かれています。
無意識は単一の過程・現象と考えるよりは、複数の現象群に対して与えられた名称と捉えた方が良いだろう。
ひとつでは、ないんですよね。
つまり、教科書がそろっていないのではない。そろっていないことのほうが、いまの学問の状態です。
そこは、まだ決まっていません。
気づいていないのは、内容か、関係性か、過程か
同じ辞典が、無意識性を3つに分けています。
内容の無意識性。関係性の無意識性。過程の無意識性。
ことばの意味を3つに分けた話は、潜在意識と無意識の違いのほうに書きました。日常語と、フロイトと、認知科学です。
そちらとは、別の切り方になります。
ここで分けているのは、気づかない場所のほうです。
内容は、出されたものそのものに気づかないとき。気づかない速さで映した文字などが、それにあたります。閾下知覚や盲視が、ここです。
関係性は、AとBがつながっていることに気づかないとき。
過程は、答えは出せるのに、そこへたどりついた手つきがわからないときです。
どれも、気づいていません。気づけない場所が、ちがうだけです。
そして、こうあります。日常生活における多くの複雑な判断では、内容の無意識性よりも、関係性・過程の無意識性に関連する現象が多く存在する。
見えていなかったのでは、ない。
見えていたのに、それが効いたことに気づかない。日常は、こちらです。
自転車も、キーボードも、そうです。やり方はうまく言えないのに、なぜかできてしまう。
「気づいている」を、どう測るのか
「気づいていない」を判定しないと、無意識は測れません。ふつうは、本人に聞きます。
ところが、そこがあやしい。
1977年の論文が、その聞き方そのものを疑いました。
学生81名に、〈海—月〉のような単語のペアを先に覚えさせます。そのあとで、洗剤の名前を聞く。
すると、タイド(洗剤の商品名)と答える率が、10%から20%へ上がりました。
それでも、その理由としてペアを挙げた人は、ほとんどいませんでした。
ペアは、効いています。それでも、理由としては出てこない。
同じ論文に、もうひとつ実験があります。
仕事に応募した女性の書類を読ませ、5つの条件を入れ替える。そのうえで、好意・同情・知能・柔軟性の4つを評価させ、どの条件がどれに効いたかを本人に答えさせました。
書類を読んでいない人にも、条件の要約だけを渡して、同じ予想をさせています。
知能の評価では、本人の報告と本当の効果の相関が.94。書類を読んでいない観察者は、.98です。
観察者も、同じだけ当てています。
ほかの3つの評価では、本人の正確さは原文の言い方で「文字どおり、ゼロ」でした。好意が−.31、同情が.14、柔軟性が.11。
ゼロと、見分けがつかない。
好意にいたっては、向きが逆です。ここでも、観察者との差はつきませんでした。
本人の説明は、あてになりません。
そこで著者らは、判定の線を、こう引きなおしました。「気づいている」と言えるのは、刺激と反応の一般的な説明を渡された観察者よりも、本人の報告が正確なときだけだ、と。
当てただけでは、足りない。
他人と同じ当て方をしているなら——それは思い出したのではなく、あとから推測しただけです。
動きの実験が聞いているのは、理由ではなく時刻
本人に理由を聞くのが当てにならないなら、実験の側は聞く中身を変えるしかありません。
2008年の研究は、脳の活動から、その人がどちらを選ぶかを読み取っています。決めた中身が、意識にのぼる最大10秒前の前頭前野と頭頂葉の活動に符号化されていた。
このとき本人が答えるのは、理由ではありません。0.5秒ごとに切り替わる文字を見せておいて、決めた瞬間に出ていた文字を選ばせる。それだけです。
2011年には、ひとつずつのニューロンでも同じでした。
てんかんの治療で脳に電極が入る12名から、1,019個のニューロンを記録しています。
決めたと本人が言うより、およそ1,500ミリ秒前から、発火が少しずつ変わっていく。補足運動野の256個のニューロンを使えば、本人が気づく700ミリ秒前に、その回の決定を80%を超える精度で当てられた。
こちらで聞いたのも、時刻だけです。針の回る時計を見せて、最初に動きたいと感じたとき針がどこにあったかを、あとから答えさせています。
理由は、聞いていません。
ただし「◯秒前」の0点になっているのは、その時刻の報告です。本人の報告そのものは、使っています。
では、この2つはもう揺るがないのか。
そこも、ちがいます。
「脳が先に決めている」の根拠だった準備電位は、読み替えられました。動作の前に、ゆっくり立ちあがっていく脳波の坂のことです。
2012年の論文によると、閾値を越える瞬間は、自発的なゆらぎで決まる。動作の瞬間にそろえて平均すると、それが坂に見えてしまう。
同じ読み替えは、2011年の発火にもかかります。2011年の論文自身が、閾値越えのモデルを立てていました。
越える瞬間が何で決まるのかは、まだ見えていません。
別の現象は、別の実験で判定されている
無意識ということばの下では、まったく別のものも測られているんですよね。
2006年のサイエンス誌に、注意を向けない熟慮という報告が載ります。単純な選びかたは意識して考え、家や車のような複雑なものは無意識に任せたほうがよい、と。
「難しい決断は寝かせろ」の出どころは、ここです。
ところが、あとになって測り直されます。
2015年に、399名を集めた追試がありました。無意識のほうが優れているという証拠は、出ません。
優位が出ていたのは、標本数の小さい研究だけだった。同じ論文のメタ分析に、そうあります。
無意識の偏見を測る潜在連合テストも、同じ道です。2013年のメタ分析では、脳活動をのぞくすべての基準で予測力が乏しかった。
自己申告の指標を、上回っていません。
ここまで、ぜんぶ同じことばで呼ばれています。
でも、測っている場所も、出てくる答えも、別々です。
2014年の総説が、そこを名指ししています。無意識の影響力が、ほんとうより大きく見積もられてきた。理由は3つ。気づきの測り方が雑だったこと、目玉の結果に別の読み方があるのを見なかったこと、直感に合う結論をそのまま受け入れたこと。
今日の話をまとめると
無意識は、装置ではない。気づかれないまま働く現象の、まとめ名です。
気づかなさには、内容・関係性・過程の3つがある。日常で効いているのは、うしろの2つです。
そこが、見えにくい。
測り方も、ばらばらでした。理由を聞く実験。時刻だけを聞く実験。選んだ答えの良し悪しだけを見る実験。
だから「無意識は◯◯だ」と、一語でまとめて判定することはできません。 ひとつずつ別に測られて、ひとつずつ別に判定されています。
今夜、3分だけ使ってください。今日、自分で決めたことをひとつ書いて、その理由を紙に書く。
その横に、同じ場面を説明されただけの人なら挙げそうな理由を書き足す。
2つが同じ理由になったなら、あなたが書いたのは、思い出した理由ではありません。あとから推測した理由のほうです。
僕がなぜ、中身より測り方のほうばかり書くのかは、プロフィールに置いてあります。





