朝、机の前に座って、やる気が出るのを待っている人。
やる気さえあれば動けるのに、と思いながら一日を終えている人。
僕も、長いことそうでした。
先に結論を書きます。やる気は行動の原因ではなく結果だと、脳研究者の池谷裕二さんは言い切っています。
だから「存在しない」と言われている。
順番に書きます。
「やる気は存在しない」と言ったのは誰か
この言い方の出どころは、脳研究者の池谷裕二さんです。
講演を依頼するサイトのインタビューで、本人がこう話しています。
「『やる気』は幻想です。よくよく考えると『やる気』というのはやる気のないときに使う言葉。」
続きも、そのまま引きます。
「『やる気』がないからやれないのではなく、やらないから『やる気』が出てこないんです」
「行動を起こして初めて『やる気』が付いてくるんです」
同じインタビューで、人は「やれないのはやる気が出てこないからだ」と言い訳にしている、とも話しています。
きつい言い方に見えます。
でも、池谷さんが責めているのは人ではなく、言葉のほうなんですよね。
ひとつ、断っておきます。
この言い方を確かめた実験の報告そのものは、僕には見つけられませんでした。
出どころは、いまのところ本人の発言です。
そのうえで、この言い方には効くところがあります。
やる気という名前を付けた時点で、それは「まだ来ていないもの」になる。
来ていないものだと思っているかぎり、人は待つしかなくなります。
そこで、詰まります。
「作業興奮」の出どころを、たどってみた
やる気の話には、たいてい作業興奮という言葉が付いてきます。出どころをたどりました。
5分でも手を付ければ脳が乗ってくる、という説明です。
ドイツの精神医学者クレペリンが提唱した、と紹介されることが多い。
よく「心理学者」と書かれているんですが、百科事典の記述は「精神医学者」でした。
世界大百科事典によると、クレペリンが1902年に発表した論文は「作業曲線」です。
単純な作業を続けたときの作業量と、単位時間あたりの変動。その変動に寄与する因子に、考察を加えたものだと書かれています。
因子の名前のほうは、別のところに出てきます。
日本大百科全書が、内田クレペリン精神作業検査の作業曲線に反映する因子として挙げているのは、意志緊張、興奮、慣熟、練習効果、疲労でした。
「興奮」は、たしかにここにあります。
ただし、これは日本で内田勇三郎が確立した検査についての記述で、1902年の論文の中身ではないです。
百科事典の項目を開いても、作業興奮という語そのものは見つかりません。
日本では1924年に内田勇三郎が30分法を組み立て、適性検査になりました。
そして「5分やれば乗ってくる」を確かめた実験の報告には、たどり着けませんでした。
見つかったのは、曲線の話と、検査の話だけです。
作業興奮という語の出どころは、分からないままでした。
作り話だと言いたいのではないです。
ただ、数字の付いた根拠として持ち出せる段階ではない、というだけです。
言葉のほうが、根拠より先に広まっています。
「できそうだ」は、実績のあとに出てくる
では、やる気と呼ばれてきたものの正体は何なのか。
心理学に、近い概念があります。1977年にバンデューラが出した自己効力感です。
「自分にはこれができそうだ」という見込みのこと。
論文の191頁には、こう書かれています。この見込みが、行動を始めるかどうか、どれだけ力を注ぐか、うまくいかないときにどれだけ続けるかを決める、と。
では、その見込みはどこから来るのか。
195頁に、四つの源が挙げられています。
自分でやり遂げたこと。人がやっているのを見たこと。言葉で説得されたこと。そのときの体の状態。
191頁には、こうも書かれていました。体験にもとづく源が確かなものであるほど、見込みは大きく動く。
では、言葉で説得されたときはどうなるのか。
198頁に、はっきり書いてあります。自分でやり遂げたときにくらべて、弱くなる。
理由も添えられています。言葉には、体験の裏づけが無いからです。
自分に「やれる」と言い聞かせても薄いのは、それが体験ではないからなんですよね。
順番でいうと、動く、実績が1件たまる、できそうだが出る。
やる気を先に出そうとするのは、この列を逆から押している状態です。
押しても、やる気のほうは動きません。
足りていないのは、やる気ではなく有能感・自律性・つながり
動機づけの側から見た研究も、ひとつ置いておきます。
2000年にライアンとデシが American Psychologist に出した論文です。
人には生まれつき三つの心理的な欲求がある、と要旨に書かれています。
有能感、自律性、そして人とのつながり。
この三つが満たされると、自分から動く力と心の健康が高まる。ふさがれると、どちらも下がる。
ここが効きます。
動けない日を「やる気がない」と呼ぶと、打つ手がひとつも出てきません。
でも、三つのどれが欠けているかで見ると、話が変わります。
やり方がわからない日は、有能感のほうが欠けている。
人に決められた作業の日は、自律性のほうが欠けている。
ひとりで抱えている日は、つながりのほうが欠けている。
欠けている場所が違えば、やることも変わります。
ここが、分かれ目です。
やる気という一語は、この三つをまとめて隠してしまう袋なんですよね。
今日の話をまとめると
やる気が存在しないというのは、脳のどこを探しても部品が見つからない、という意味ではないです。
順番が逆だ、という意味でした。
作業興奮という言葉は、クレペリンが提唱したと紹介されることが多いものの、その根拠にはたどり着けませんでした。
5分で乗ってくるという言い方の出どころも、分からないままです。
代わりに残ったのは、実績のほうがあとから見込みを作るという1977年の枠組みと、動く力を支える三つの欲求という2000年の枠組みです。
どちらも、動いたあとの話をしています。
出どころをたどると、残ったのは順番の話だけでした——待つ側から、始める側へ。
今夜、3分だけ使ってください。明日やることをひとつ選んで、始める時刻だけを決めて、カレンダーに置く。
やる気ではなく、時刻を引き金にする。それだけです。
言い聞かせるより先に動作を決めておく、という話は潜在意識は嘘なのかに書きました。脳の俗説をもうひとつ見ておきたい人は、右脳と左脳の違いへ。
僕がなぜ毎回こうやって出どころをたどっているのかは、プロフィールに置いてあります。





