直感で決めて、外れた。
逆に、考え抜いて決めたあとで「はじめの勘のほうが合っていた」と思った。
文を書いていて、「直観」と「直感」のどちらを打つかで、指が止まった。
僕は、三つとも身に覚えがあります。
先に結論を書きます。直観は、推理を使わずに、ものをじかにつかむ哲学の語。直感は、感覚でものごとをとらえる日常の語です。
そして、直感が当たるかどうかは、その人がその分野で、結果を見ながら経験を積んできたかで決まります。センスの話ではないんですよね。
順番に書きます。
辞書の上では、直観と直感は別の語
デジタル大辞泉では、二つは別の項目です。
直観は「哲学で、推理を用いず、直接に対象をとらえること。また、その認識能力」。直覚ともいう、とあります。
直感は「推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること」。
似ています。違うのは、どこでつかむかです。
直観は、哲学のことばです。考えをはさまずに、ものそのものをじかにつかむ。
直感は、感覚のことばです。頭で運ぶのではなく、感覚のほうでつかむ。
類語の欄には、勘、第六感、ひらめき、予感、と並んでいます。
ブリタニカの事典は、もっとはっきり線を引いています。
日常で使われる「直観」は、勘と同じ意味の予感であって、憶測か、無意識的な推論にすぎない。本来の直観とはいえない、と。
ふだん「ちょっかんが当たった」と言っているのは、辞書の上では直感のほうです。
ここから先は、直感の話です。
二つの語が生まれた順番
日本国語大辞典によると、直観は Anschauung や intuition の訳語です。ドイツ哲学から広まりました。
1881年の『哲学字彙』では、intuition に「直覚力」が当てられていました。まだ「直観」ではありません。
「直観」そのものの用例は、1897年までさかのぼれます。高山樗牛が、詩人や小説家は直観を旨とする、と書いています。
いっぽうの直感は、初出の例が1903年です。国木田独歩の『悪魔』に「直感せよ」とあります。辞書の用例では、そこに「チョクカン」とふりがながふってあります。
哲学の語のほうが、先にありました。1897年の直観と、1903年の直感。用例でたどれる順番は、この向きです。
ただ、辞書を引いても、知りたいことは残ります。
直感は、現場でどう使われているのか。そして、どこでなら信じていいのか?
火事の現場で、直感はどう使われていたか
消防の指揮官を調べた研究があります。1985年の聞き取りです。結果は翌1986年に学会で発表され、原調査そのものが誌面に出たのは2010年です。
経験の長い指揮官26人。平均で23年。決める場面を156件、ひとつずつ聞き取っています。
結果は、こうでした。
いくつかの案を並べて比べたあとがあったのは、12%未満。
80%を超える場面で、指揮官は目の前の火事を「よくあるあの型だ」と見て取り、その型に合う動きをそのまま選んでいました。
比べていない。計算もしていない——見て、動いている。
研究者は、これを認識主導の決定と名づけました。
測られたのは、決め方のほうです。当たったかどうかは、この研究では測っていません。
それでも、中身は勘ではないんですよね。23年分の火事が、目の前の火事はどの型かを、指揮官に一瞬で教えているのです。
カーネマンも2003年に、直感の思考は「おおむね熟練していて成功している」という見方と、バイアスの研究は両立する、と書きました。
直感は、外れる話ばかりではないのです。
直感の中身は、積んできた経験のほう
では、その「見て取る」は、どこから出てくるのか?
1997年の実験があります。どの選び方が得かを知らせないまま、ギャンブルの課題を選ばせました。
参加した人は、得な理由を言えるようになる前から、得なほうを選び始めていました。
わけを言えるより先に、選び方のほうが変わっている。
言えるのは、あとです。
直感は、結果を見ながら積んだ経験が、体の側に残ったもの。
だから、経験を積んだ場では当たり、積んでいない場では当たりません。積んでいないところでは、当たる気がするだけです。
当たる直感には、条件が2つある
消防の指揮官を調べたクラインと、バイアスを研究してきたカーネマンが、2009年に共著の論文を出しています。
ふたりの答えはこうです。直感で決めたものの質を見るには、2つの条件がいります。
ひとつ。決めようとしている相手の側に、先の読める規則性があるか。
もうひとつ。その人に、その規則性を学ぶ機会があったか。
火事の現場だと、こうです。指揮官が「あの型だ」と見て取れたのは、火事に型があったから。そして23年、結果を見ながら学んでいました。
ふたりは、もうひとつ書いています。
「当たる気がする」という本人の手ごたえは、当たるかどうかの目安にならない。
裏づける数字があります。
人の健康や行動の先行きを、臨床家の判断と、統計の式とで当てさせて比べたメタ分析です。2000年に出ています。
式のほうが、平均で約10%、よく当たっていました。
多くの研究では、臨床家の判断も式と同じくらい当たっています。ただ、大きく上回ることは、ほとんどありませんでした。
式が大きく勝ったのは33〜47%の研究で、臨床家が大きく勝ったのは6〜16%だけ。
判断する人の経験が長くても、差は縮まっていません。年数では、埋まらなかったのです。
年数は、条件ではないんですよね。条件は、規則性と、それを学ぶ機会のほうでした。
今日の話をまとめると
直観は、推理を使わず、ものをじかにつかむ哲学の語。直感は、感覚でものごとをとらえる日常の語です。
僕らが「当たった」「外れた」と言っているのは、直感のほうです。
火事の現場では、80%を超える場面で使われていました。
条件は2つ。その場に規則性があること。結果を見ながら学ぶ機会があったこと。
当たる気がするという手ごたえは、目安になりません。
23年の指揮官は、比べずに型で決めていました。経験の長い臨床家は、式を上回れませんでした。差は年数ではなく、結果を見て学べたかどうかです。
分かれるのは、そこです。
今夜、3分だけ使ってください。明日ひとつだけ、直感で決めることを、いまのうちに書き出しておく。決めた瞬間にどう思ったかを、その一行の下に足すだけです。
それだけです。結果が出たら、その横に当たりか外れかを書き足す。規則性を学ぶ機会が、自分の手元にたまっていきます。
直感が出てくる側の心については、潜在意識と無意識の違いに書きました。決める前に体の側で起きていることは、潜在意識とお金にあります。
この書き方をしているわけは、プロフィールに書いてあります。





