「自己肯定感が低い」と言われて、そうかもしれない、と思った人。
セルフイメージの本と自己肯定感の本を買って、どこがちがうのか分からなくなった人。
僕は、両方です。
先に結論を書きます。セルフイメージ・自己肯定感・自尊心は、意味の濃さがちがうのではなく、生まれた場所がちがいます。
生まれた場所がちがうので、ひとつの物差しでは測れません。
ところが「日本人は自己肯定感が低い」と言うときの物差しは、たどると英語圏のものでした。
順番に書きます。
セルフイメージと自己肯定感は、どこが別か
3つを、先に並べます。
セルフイメージは、自分がどんな人間かについていだいている考えのことです。国語辞典の大辞泉に「セルフイメージ」の見出しはなく、かわりに「自己概念」があります。
広めたのは、1960年にアメリカで出た本です。マクスウェル・マルツという美容外科医が書きました。中身はセルフイメージとはに書いています。
自己肯定感は、ダメなところも弱いところもふくめて、自分がいることはいいことだと、まるごと肯定する感覚です。出てきたのは、1994年の日本の文献でした。Weblio でも引けますが、出てくるのは実用日本語表現辞典で、大辞泉には見出しがありません。
自尊心は、能力や特性を背景に置いた評価のことです。英語のセルフ・エスティームにあたる言葉で、こちらは大辞泉に見出しがあります。
自分をどう見ているかがセルフイメージ。存在をまるごと肯定するのが自己肯定感。能力を測るのが自尊心。
ここが、わかれ目です。
「自己肯定感」は、1994年の日本の文献にはじめて現れた
2025年に、この言葉の出どころをたどった論文が出ています。
CiNii Research・J-STAGE・国立国会図書館リサーチで、表題に「自己肯定感」を入れた文献をさがした範囲では、いちばん古いものが1994年。高垣忠一郎という人が、雑誌『教育』に書いたものです。
1990年代の文献は、9件だけでした。書いた人は、あわせて7名。
自己肯定感は、外から訳して入ってきた言葉ではありません。
もとになった外国語が、ありません。
高垣忠一郎が1991年に出した本では、まだ「自己信頼感」でした。さしているのは、どちらも「自分が自分であって大丈夫」という感覚です。
3年で、呼び名だけが変わりました。
まだ、あたらしい言葉です。
できてから30年ほどしか、たっていません。
高垣忠一郎は、自尊心と分けている
同じ論文が引いている2004年の本では、こう説明されています。自尊心の背景には、その人の能力や特性がある。いっぽう自己肯定感は、存在のレベルの話だ、と。
高垣忠一郎は、人よりすぐれたところを見せつけるものを「競争的自己肯定感」と名づけて、そこから切りはなしています。
同じ本から、こうも引かれています。自己のとらえ方は文化でちがうので、諸外国の子どもと日本の子どもを単純には比べられない、と。
比べ方そのものが、そこで退けられている。
……ここが、いちばん妙なところです。
政府の言う自己肯定感は、6つの質問のこと
政府がこの言葉に正面から触れたのは、2017年です。
教育再生実行会議の第十次提言が、15頁でこう書いています。とらえ方はいろいろ示されてきた。そのひとつとして、二つの側面からとらえることが考えられる、と。
ひとつは、まわりからの評価で育まれるもの。もうひとつは、短所もふくめた自分らしさを受け止めることで身につくもの。
提言は、どちらかひとつには決めていません。
ところが、測るほうは決まっていました。
同じ提言の参考資料に、文部科学省のタスクフォースの分析がついています。使ったのは、6つの質問。
自分には、よいところがある。人並みの能力がある。今の自分が好きだ。自分自身に満足(不満)。自分自身に満足している。ダメな人間だと思うことがある。
ならべてみると、似たものが2つあります。
「満足」が2回出てくるのは、写しまちがいではありません。この6つは、べつべつの調査から、よせ集めたものです。原文のまま、写しました。
政府の言う自己肯定感とは、この6問への答えのことです。
定義は決めないまま、測るところだけが6問になっている。
提言が示したとらえ方と、政府が測っているもの——そこが、ずれています。
その6項目のうち4つは、1965年の英語の尺度と重なる
6問に、見おぼえがあります。
1965年に、アメリカの社会学者モリス・ローゼンバーグが『Society and the Adolescent Self-Image』を出しています。そこで発表された自尊心の尺度は、10項目。設計はガットマン尺度でしたが、いまは4件法・0点から30点で採点するのがふつうです。
最初の標本は、ニューヨーク州で無作為にえらばれた高校10校の生徒5,024人でした。
この尺度のほうが、日本語の「自己肯定感」より29年も古いのです。
項目文を開くと、こうです。
「全体として、自分に満足している」。「時々、自分はまったくだめだと思う」。「自分にはいくつも良いところがあると感じる」。「たいていの人と同じくらい物事をこなせる」。
ほとんど、おなじことを聞いています。
政府の6項目のうち、4つが、ここにあります。
そのまま、かさなります。
ただし、政府の文書に「この尺度を使った」とは書かれていません。さがしても、見つかりません。重なっているのは、項目文までです。
それでも、和製の言葉に、英語の物差しと同じ文が当たっていることにはなります。
測り方を変えると、差は出なかった
日本の若者は、その6問で低く出ます。
2017年の提言がよりどころにしたのは、内閣府の平成25年度の調査でした。数字は、参議院の調査室の資料にのっています。
設問は「自分自身に満足している」かどうか。
韓国・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデンは、どこも7割を超えています。日本は、5割弱でした。
ただし、この数字は参議院の資料からの孫引きです。内閣府の原本は、たどれません。
新しい令和5年度の調査でも、日本は57.4%でいちばん低いままです(セルフイメージの書き換え方)。
ならびは、変わっていません。
同じ脚注に、続きがあります。
本人も気づかない態度を調べる潜在連合テストでは、日本の大学生の自尊感情は、アメリカや中国の大学生と遜色がなかった。そういう研究がある、と。
質問紙では、低い。
気づかないところを測ると、差は出ない。
だから調査室も、本当に低いのかは今後の検討が必要だ、と書いています。
ただし、潜在連合テストそのものの予測力は強くありません。そこは無意識とはに書きました。
質問紙も潜在連合テストも、決め手にはなりません。
はっきりしているのは、測り方を変えると答えが変わることです。
そこだけは、たしかです。
今日の話をまとめると
セルフイメージは考え、自己肯定感は感覚、自尊心は評価です。
生まれた場所は、順に1960年のアメリカ、1994年の日本、そして英語圏でした。
ところが政府が当てているのは、6つの質問です。そのうち4つは、1965年の英語の尺度と同じことを聞いています。
ずれは、29年です。
あとから来た言葉に、先にあった物差しが当たっています。
今夜、3分だけ使ってください。自分が「自己肯定感が低い」と思う場面を、ひとつだけ書き出す。それが能力を聞かれている場面か、存在を聞かれている場面か、どちらかに印をつける。
能力のほうなら、それは自尊心の話です。
存在のほうなら、それは自己肯定感の話です。
低いのは、あなたではなく、当てている物差しのほうかもしれません。
この書き方をしている理由は、プロフィールに置いてあります。





